与謝野晶子(よさの あきこ)  歌人・詩人・教育者・古典研究者・ジャーナリストなど

 明治11(1878)年12月7日-昭和17(1942)年5月29日。
 大阪府堺市の中心にあった和菓子商の家に生まれる。
 店の帳簿つけや店番をする傍ら古典文学に親しみ、弟とともに短歌結社に入会。
 明治33(1900)年文学美術雑誌「明星」に作品を発表し、与謝野鉄幹と出会い
翌年上京、結婚。
 その年に刊行した処女歌集『みだれ髪』で多くの注目を集め、「明星」の代表歌人となる。
 その後も多くの詩歌集を刊行、「君死にたまふこと勿れ」や「山の動く日」などの詩も発表。
 100号まで続いた「明星」廃刊後、夫とともにヨーロッパ旅行に出かけ、日本女性の未熟さを感じ、帰国後は女性として人間としての権利に焦点をあてた評論集を刊行、文化学院の創設にも深く関わるなどの教育活動にも力を注ぐ。
 また、幼少時代より親しんでいた『源氏物語』の現代語訳を3回も手がけ、晩年にはほぼ全国を旅して多くの歌を残している。
 生前には5万首ものを歌を残したと言われ、23冊の詩歌集、15冊の評論集を刊行するだけでなく、小説、随筆、童話、戯曲など幅広い作品を手がける。
 この幅広い活動をしながら、13人もの子どもを生み育てたのであった。